地域に伝わる民話『竜江の松』
渥美半島の七不思議より ~民話『竜江の松』

むかしむかしのことです。笠山のふもとから、豊橋の方の海へ向かって、細長い砂浜がつき出ていました。
人々はここを大州崎(おおすさき)と呼んでいました。
そこには背たけほどの松の木が、いっぱい生えており、小鳥やうさぎなどの動物が住んでいました。
まわりの海では、タイやカレイ、ハゼやうなぎ、アサリやカキなどがいっぱいとれました。
大州崎の先っぽのあたりを、竜江と言いました。汐川と梅田川の流れがぶつかり合う所で、潮の満ち干と重なると、まるで竜が大暴れしたような、激しい流れになることから、竜江という名が付いたのだそうです。
竜江では、たびたび船が流れに巻き込まれて沈んだので、人や荷物を運ぶ船の船頭や漁師の仲間から、このあたりには、水の神様が住んでいると言われるようになり、ここを通る時、
「神様、どうか竜江を無事に通して下さい。」
と、祈りながら船を走らせたそうです。
竜江を無事に通り過ぎると、広い三河湾へ出ます。しかし、ここでも危険なことがいっぱいです。深いはずの沖の方が浅かったり、急に強い風が吹きつけてきたりするので、船頭は油断できません。
浅い沖をさけて、船は大洲崎の浜のすぐ近くのミオを通ります。ミオは、狭くて深い上に、流れも速いので、舵取りを誤ると、大きな事故につながります。
大洲崎のまん中あたりの海辺に、大きな松の木が、一本だけありました。不思議なことに、このあたりの海で行方不明になった人は、必ずこの松の木下の浜へ流れ着きました。だから、村の人は、死人松と呼んでいました。
竜江をはじめ、大洲崎のまわりの海では、たびたび事故が起き、なくなった人も多かったので、船頭や漁師と村の人達が相談して、なくなった人の供養と船の安全を願って、竜江のはなへお地蔵さんを建てました。そして、毎年、うら盆の七月二十四日には、お供え物をし、お参りをした後、餅投げ、あま酒、子供に若い衆による相撲大会などで、盛大に地蔵まつりをしました。
それからは、事故もなくなり、安全な日々が続き、みんなはほっとしていました。
ところが、しばらくして不思議なことが起こったのです。
夏が近づく頃になると、大洲崎の松林には、ショウロがはえます。お吸い物に入れると、とってもおいしいので、村の子供たちは、ショウロ採りに出かけます。
ある日、栄ちゃんと千枝ちゃんは、ショウロをさがしに、松林へ行きました。しばらく行くと、根元から切り取られた松の切り株がありました。
ここの松は枝ぶりがいいので、生け花や盆栽に使うために、だれかが切ったのだろうと、栄ちゃんはおもいながら、もっと奥の方へ入っていきました。
「あれっ!切り株から枝や芽が出ているよ。」
栄ちゃんは、びっくりして叫びました。松の木は、根元から切れば、枯れてしまうと言われているのに、不思議だなあと千枝ちゃんも思いました。
よく見ると、近くの切り株からも新しい芽が出ているではありませんか。
家に帰ると栄ちゃんは、物知りの忠左衛門じいちゃんに、早速このことを話しました。
「ほーっ、おどけたなあ。」
おじいちゃんは、腕を組んで考えこんでしまいました。
「うーん、不思議なことだ。竜江では、むかし海の事故で、がとうな人が死んだ。その人たちのたましいが、松に乗り移ったのだろう。切り取られた悲しさに、また新しい芽を出したにちがいあるまいのう。
おじいちゃんのお話は、たちまち村中に広がりました。それからは、竜江の松を切る人は、いなくなりました。
今では、竜江も大洲崎も埋め立てられ、大きな自動車工場となって、むかしの風景は、何一つ見当たりません。
竜江のはなに建てられていたお地蔵さんだけは、工場の西のはずれの海岸の近くに移されています。
やさしいお顔で昼も夜も海を見つめ、心をこめて手を合わせ、沖を通る船の安全を、お祈りしてくれています。

むかしむかしのことです。笠山のふもとから、豊橋の方の海へ向かって、細長い砂浜がつき出ていました。
人々はここを大州崎(おおすさき)と呼んでいました。
そこには背たけほどの松の木が、いっぱい生えており、小鳥やうさぎなどの動物が住んでいました。
まわりの海では、タイやカレイ、ハゼやうなぎ、アサリやカキなどがいっぱいとれました。
大州崎の先っぽのあたりを、竜江と言いました。汐川と梅田川の流れがぶつかり合う所で、潮の満ち干と重なると、まるで竜が大暴れしたような、激しい流れになることから、竜江という名が付いたのだそうです。
竜江では、たびたび船が流れに巻き込まれて沈んだので、人や荷物を運ぶ船の船頭や漁師の仲間から、このあたりには、水の神様が住んでいると言われるようになり、ここを通る時、
「神様、どうか竜江を無事に通して下さい。」
と、祈りながら船を走らせたそうです。
竜江を無事に通り過ぎると、広い三河湾へ出ます。しかし、ここでも危険なことがいっぱいです。深いはずの沖の方が浅かったり、急に強い風が吹きつけてきたりするので、船頭は油断できません。
浅い沖をさけて、船は大洲崎の浜のすぐ近くのミオを通ります。ミオは、狭くて深い上に、流れも速いので、舵取りを誤ると、大きな事故につながります。
大洲崎のまん中あたりの海辺に、大きな松の木が、一本だけありました。不思議なことに、このあたりの海で行方不明になった人は、必ずこの松の木下の浜へ流れ着きました。だから、村の人は、死人松と呼んでいました。
竜江をはじめ、大洲崎のまわりの海では、たびたび事故が起き、なくなった人も多かったので、船頭や漁師と村の人達が相談して、なくなった人の供養と船の安全を願って、竜江のはなへお地蔵さんを建てました。そして、毎年、うら盆の七月二十四日には、お供え物をし、お参りをした後、餅投げ、あま酒、子供に若い衆による相撲大会などで、盛大に地蔵まつりをしました。
それからは、事故もなくなり、安全な日々が続き、みんなはほっとしていました。
ところが、しばらくして不思議なことが起こったのです。
夏が近づく頃になると、大洲崎の松林には、ショウロがはえます。お吸い物に入れると、とってもおいしいので、村の子供たちは、ショウロ採りに出かけます。
ある日、栄ちゃんと千枝ちゃんは、ショウロをさがしに、松林へ行きました。しばらく行くと、根元から切り取られた松の切り株がありました。
ここの松は枝ぶりがいいので、生け花や盆栽に使うために、だれかが切ったのだろうと、栄ちゃんはおもいながら、もっと奥の方へ入っていきました。
「あれっ!切り株から枝や芽が出ているよ。」
栄ちゃんは、びっくりして叫びました。松の木は、根元から切れば、枯れてしまうと言われているのに、不思議だなあと千枝ちゃんも思いました。
よく見ると、近くの切り株からも新しい芽が出ているではありませんか。
家に帰ると栄ちゃんは、物知りの忠左衛門じいちゃんに、早速このことを話しました。
「ほーっ、おどけたなあ。」
おじいちゃんは、腕を組んで考えこんでしまいました。
「うーん、不思議なことだ。竜江では、むかし海の事故で、がとうな人が死んだ。その人たちのたましいが、松に乗り移ったのだろう。切り取られた悲しさに、また新しい芽を出したにちがいあるまいのう。
おじいちゃんのお話は、たちまち村中に広がりました。それからは、竜江の松を切る人は、いなくなりました。
今では、竜江も大洲崎も埋め立てられ、大きな自動車工場となって、むかしの風景は、何一つ見当たりません。
竜江のはなに建てられていたお地蔵さんだけは、工場の西のはずれの海岸の近くに移されています。
やさしいお顔で昼も夜も海を見つめ、心をこめて手を合わせ、沖を通る船の安全を、お祈りしてくれています。
<文・絵 松浦邦治>